今の時代にこそ伝えたい、
葛藤と苦悩の実話が映画化
主演・森田剛、演出・一木正恵登壇
終戦記念日を迎えた今だからこそ伝えたい熱い想い
森田「未来ある若者にこそ観て欲しい」
一木「放たれた言葉はけっして消えない、そしてそれは終わっていない」
戦時中、「声の力」で戦意高揚・国威発揚を図り、偽情報で敵を混乱させた日本放送協会とそのアナウンサーたちの活動を、事実を基に映像化し、知られざるアナウンサーたちの苦悩と葛藤を描いた映画『劇場版 アナウンサーたちの戦争』が8月16日(金)に全国公開となりました。
公開を記念して、主演の森田剛、演出の一木正恵が初日舞台挨拶に登壇。79回目の終戦記念日を迎えたばかりのこの日、戦時中における言葉の力や大きさ、そして恐ろしさを描き出す本作への思いを語りました。
<イベントレポート>
映画上映後、大勢の観客の前に立った森田は「このようなすてきな作品に参加できたことをうれしく思います。監督はずっと映画にしたいとおっしゃっていたので、この日を迎えることができてうれしく思います」とあいさつ。またこの日は、台風7号が関東地方に接近しているという状況を踏まえて、演出の一木も「今日は非常に特別な日になったかなと思っております。劇中にも『天気予報は今後一切中止だ』というセリフがあったと思いますが、それによって戦争の被害というのは、戦争で亡くなる方だけではなく、実は多くの災害が報道されずに隠されたということもありました。多くの方が何も知らされずに犠牲になったということを踏まえますと、本日、皆さまがたくさんの情報を選び抜いてここに来ていただいたということに胸を熱くしております」と呼びかけた。
森田が演じるのは、戦況が激しくなる中で、アナウンサーとしての職務に葛藤し、苦悩する和田信賢。森田と和田アナとの共通点として、「才能の生かし方を計算しているのではなく、瞬間的に一番高いところに、発火しているところに飛び込んでいくところがすごく似ているなと思った」という一木。そしてさらに、戦時下の国民の戦意高揚に加担しながらも、一方でその自身の役割に苦悩するという和田アナの功罪を指摘した上で、「和田さんをシンプルなヒーローとしては描きたくなかった。ダーティーヒーローというか、ピカレスクというか。清濁併せのんだ、その両面を演じられる方という方は誰かと考えた時に、俳優としての森田剛さんの作品を観て、ものすごい信頼感があったし、自分の予想のはるか上をぶっ飛んでいった」と説明。
そんな全幅の信頼感をもって森田にオファーを出したものの、「わたし自身、会うとなると非常に怖くなってしまって。役の感じをイメージすると、非常に怖い人だったら、どうしようかなと思っていたんです。スローモーションでライターをバーンッと投げつけるような、そんなイメージを持っていた」と冗談めかしつつも、「やはり演出という立場でいうと、これまでの生きざま、ハートの部分、ソウルの部分でいろいろと語りあわないといけないと思うんですが、そういう意味では非常に優しくて謙虚な方だったので良かったなと。非常に充実した日々でしたし、和田さんを演じていただいて本当にうれしかった」と述懐。
それを聞いた森田も「確かになかなか目が合わないなとは思っていましたが」と笑いながらも、「でも準備期間に読み合わせをしたり、撮影に入る時にも、いろいろなお話を積極的にできて。ちょっとずつ距離は縮まったかなと思いますし、僕のことを知ってくださっていたので、そういう安心感がありました」と振り返った。
そんな本作について「戦争を描いたドラマはほかにもありますが、アナウンサーという視点はなかなかないなと思いました。僕自身も知らなかったですし、まわりに聞いても初めて聞いたという声が多かった。だからこそ伝えるべきだと思ったし、和田信賢さんを演じる上で、彼の純粋な部分と、戦争に巻き込まれていく過程と、どうしようもない現実というところの表現に興味が沸きました。そしてこういう作品を、未来ある若者に観てもらいたいなという思いがありました」と語る。
和田信賢の妻で、後に女性アナウンサーの草分けとなる和田実枝子を演じたのは橋本愛。劇中では、戦意高揚のために実際に戦場で起きていることとは違うことをしゃべらされていたことを知り、絶望の淵に突き落とされた和田を、実枝子が優しく受けとめるシーンがある。そのシーンで一木は、脚本にはなかった“ひざまくら”をしてもらうようにお願いしたということを明かす。「わたしとしては、和田さんを、熱狂の渦や、戦争の狂気から救い出してくれるのは美枝子じゃないかと思った。圧倒的に頼れる存在を示す時に、そういうアクションはどうかと提案しました」。
そしてその演出を受けた森田も「和田さん自身、自分ひとりではどうにもならない、つぶれてしまいそうな時に家に帰っていくシーンだったので。監督からはひざまくらという提案があったんですが、どうやってひざまくらに入っていけばいいのかと思っていたところで、監督からは『かかとを使うんだよ。奥さんのかかとを引っ張って。そこからひざまくらに入っていくんだよ』という演出があって。よっしゃと思いました」と笑いながら述懐。そのあとに橋本からは「髪の毛をなでていいですか?」という提案があったとのことで、「それは子どもに返るというか。女性は強いなと思いましたし、ひざまくらをすることで、見つめ合うのではなく、お互いに同じ方向を見るという姿はいいなと思ったし、すごく勇気づけられたシーンでしたね」と振り返った。
また雨の中で「学徒出陣」に向かう若者たちを見送るシーンも印象的だったという。「撮影はここがラスト。作品でもキーになるシーンだと思って挑みました。ただもうちょっと離れたところでやるのかと思っていたんですが、思ったよりも生徒さんとの距離が近かったんです。大きな声を出せば届くような距離だったんですが、どれだけ大きな声を出しても届かない現実。生徒たちが行進して、戦争に向かう。それは和田さんの懺悔のようなシーンでもあるし、本当なら、(戦場に向かう学生たちの本心を)電波に乗せて言いたいことを、その場で吐き出すという。ものすごく苦しいシーンでしたが、それを覚えていますね」と振り返った。
くしくも前日の8月15日は終戦記念日。そして翌年は終戦から80年という節目の年となる。そのことを踏まえ、まずは一木が「わたしたちがラストの場面に込めた願いというのは、わたしが言葉にせずとも、感じてくださったのではないかと思います。放たれた言葉はけっして消えない、そしてそれは終わっていない。それをわたしたちは見続けたいですし、学徒出陣という、大人が守らなければいけない子どもたちを戦争に行かせたという、そんな社会はあってはならないという願いを込めて、俳優さんたちと一緒に必死につくりあげた作品です。映画という長い命を与えられて。レガシーとして刻むことができて本当にありがたく、感謝の言葉でいっぱいです」とメッセージを送る。
続く森田も「これは本当にあった、事実の話なので。昔話でもなく、今の話だと思います。この映画を観て、自分を守る、大切な人を守りたいと思う。皆さんが、そういうことを考える時間になればいいなと思います。本日はありがとうございます」と呼びかけた。
(オフィシャルレポートより)
『劇場版 アナウンサーたちの戦争』
<ストーリー>
太平洋戦争では、日本軍の戦いをもう一つの戦いが支えていた。ラジオ放送による「電波戦」。ナチスのプロパガンダ戦に倣い「声の力」で戦意高揚・国威発揚を図り、偽情報で敵を混乱させた。そしてそれを行ったのは日本放送協会とそのアナウンサーたち。戦時中の彼らの活動を、事実を基に映像化して放送と戦争の知られざる関わりを描く。
国民にとって太平洋戦争はラジオの開戦ニュースで始まり玉音放送で終わった。奇しくも両方に関わったのが 天才と呼ばれた和田信賢アナ(森田剛)と新進気鋭の館野守男アナ(高良健吾)。1941年12月8日、大本営からの開戦の第一報を和田が受け、それを館野が力強く読み、国民を熱狂させた。以後、和田も館野も緒戦の勝利を力強く伝え続け国民の戦意を高揚させた。同僚アナたちは南方占領地に開設した放送局に次々と赴任し、現地の日本化を進めた。和田の恩人・米良忠麿(安田顕)も“電波戦士”として前線のマニラ放送局に派遣される。
一方、新人女性アナウンサーの実枝子(橋本愛)は、雄々しい放送を求める軍や情報局の圧力で活躍の場を奪われる。やがて戦況悪化の中、大本営発表を疑問視し始めた和田と「国家の宣伝者」を自認する館野は伝え方をめぐって激しく衝突する。原稿を読む無力さに苦悩する和田。妻となった実枝子はそんな和田を叱咤し、自ら取材した言葉にこそ魂は宿ると激励する。しかし和田は任された学徒出陣実況をやり遂げようと取材を深めるもその罪深さに葛藤するのだった。そして館野もインパール作戦の最前線に派遣され戦争の現実を自ら知る事になる。戦争末期、マニラでは最後の放送を終えた米良に米軍機が迫る。そして戦争終結に向け動きだした和田たちにも…。
<作品概要>
森田 剛
橋本 愛 高良健吾 安田 顕
浜野謙太 大東駿介 水上恒司 藤原さくら 中島 歩 渋川清彦
眞島秀和 降谷建志 古舘寛治 小日向文世
脚本:倉光泰子
音楽:堤 裕介
制作統括:新延 明 プロデューサー:城谷厚司 林 啓史
制作担当:蓮見昌寿 助監督:長尾 楽 脚本協力:山下澄人
演出:一木正恵
テレビ版制作著作:NHK
製作協力:NHKエンタープライズ
製作・配給:NAKACHIKA PICTURES
2024年/日本/113分/カラー/ビスタサイズ/5.1ch
全国公開中!