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原作者加藤シゲアキ&行定監督登壇!大学生にエール!映画『ピンクとグレー』×大学生 世界を変える討論会開催!(その1)

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12月26日青山学院大学アスタジオホールにて、「映画『ピンクとグレー』×大学生 世界を変える討論会」と銘打ったトークショーが開催された。
青山学院大学は、原作者の加藤シゲアキの母校でもあり、ピンクとグレーの主人公である、りばちゃんこと鈴木慎吾(白木蓮吾)とごっちこと河田大貴が通った学校のモデルともなっている。
そんな『ピンクとグレー』と縁の深い“青学”で在校生を対象に試写会とトークショーが開催された。
大学生の手作りロゴや映画を紹介する展示などでロビーは飾られ、アットホームな雰囲気の会場だ。

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まず、シャツ、スーツ共に黒とスタイリッシュにまとめた加藤シゲアキが登壇し会は始まった。まずは加藤より挨拶が。
加藤:恐らく皆さんに今見ていただいた『ピンクとグレー』の原作を書かせてもらいました加藤シゲアキです。そして、ここにいる多くの方の先輩になるんじゃないかなと思っております。なので、今日は僕の事を敬って欲しいなと思います。アハハ(会場笑い)さておき、楽しくね、コミュニケーションをとって色んなお話を伺うことが出来たらいいなと思うので、よろしくお願いします。
と、張り詰めていた会場の空気が一変して和らいだ。

― 母校は久しぶりですよね?
加藤:そうですね、僕は28歳なんですけど、大学に通っていたのは22歳の6年前まで、中学校からなので、渋谷キャンパスなのは8年、青学は10年なんですけど、久しぶりに皆さんが(映画を)見ている間に学校を見学させてもらったんですけど、僕が居た時よりも凄く変わっていて、新しい校舎もできているし、中等部高等部に関してはほとんど違っていて、ホントに羨ましいと思いました。オレなんであんな古い校舎に通っていたんだろう?と思うくらい。アレはアレで味わいがありましたけど、今の生徒の人たちは本当に恵まれているなと思ったんで、是非キャンパスライフを楽しんでもらいたいなと思います。
と、思い出も交えて、校舎の印象を語った。

ここより、学生からの質疑応答で進行となる。
― 小説を書こうとしたきっかけを教えてください。
加藤:そうですね、いろいろと理由はあるんですけど、高校・大学と友人を通じて本だったり映画には憧れがあって、仕事の方でも書く仕事があったんですよ、それは、エッセイだったりブログの記事だったりとかいろいろとやらせてもらっていたんですけど、エッセイとか書いているうちに、憧れが生れてくるんですよね。ゼロから生み出す人っていうのに憧れがあって、で、20歳くらいのときに、25歳くらいまでには小説とかが書けたらカッコイイよなって、本当にそれくらいの動機っていうか、ちょうどそうやって思っている時に、もし良かったら読んであげるから、とりあえず書いてみれば?と事務所の方の勧めもあって、23歳のときに挑戦させてもらったのが『ピンクとグレー』というこの映画の原作となった小説にあたります。
と、自身が小説を書くまでの経緯を語った。

― 加藤さんが書いた『ピンクとグレー』『閃光スクランブル』『Burn-バーン-』は全て渋谷が舞台となっています。青学も渋谷にあります。渋谷に特別な感情があるのでしょうか?
加藤:小説を書くに当たって一番大事な事というか、僕にしか出来ないものは何かな?と考えたときに、ひとつは芸能界というものと、もうひとつは、自分が通ってきた渋谷という景色かなというのは、ボンヤリ思っていて、住めば都じゃないですけど、通っていれば渋谷と言う街がいろいろ見えてきた部分もあったし、仕事場も渋谷が多かったんですよね。NHKで仕事する機会とかも多かったりして。思ったのは渋谷って言うのは生き物だなっていう印象を受けましたね。何でかっていうと、すごい景色が変わっていく。好きだったお店もなくなっていくし、その代わり新しい都市開発が進んで行くということもあって、本当に変化の早い街だなっていう印象を受けていて、『Burn』という作品は逆に古い渋谷の街を調べたりして、作品を書いているうちに愛着が沸いていった部分もありますけど、僕が15年近くは渋谷の事を知っている身としては特別な街ではありますね。

― 映画、小説に出てくる“やらないなんてない”と言う台詞が印象的でしたが、とても重要なキーワードだったと思います。そこで、今、加藤さんが“やらないなんてない”事はありますか?
加藤:(質問に対してニヤっと笑って)まず、小説の中の事を言うと、全てが自分が思っていることとか伝えたい事って言うわけではなくて、基本的に中で動いているキャラクターが喋っていくような、自分が書きたい事に必要な台詞だったりすることが多い中で、“やらないなんてない”って言うのは、実際に僕が感じていたところでもあって、(小説を)書いていた時期が2011年の具体的ですけど、2月15日から書き始めて、締切りが2011年の3月31日だったんですよね、その期間に震災があったりして、すごく日本全体が苦しい時期だったし、僕自身苦しい時期だったんですけど、今自分にしか出来ないことを今頑張らなくちゃいけないんじゃないかなぁ。ということを考えていたことが、そういう台詞なのかなと、振り返って思いますけど、“やらないなんてない”って小説を書いてるときは今でも同じように思いますね。小説を書くことが楽しいかと聞かれると、楽しい反面苦しくて、不安になるし、投げ出したくなるときもあるんですけど、それでも“やらないなんてない”なと、一度引き受けた仕事、一度覚悟を決めた職業は続けていかないと、男としてかっこ悪いんじゃないかと思うんで、今でも凄くそれを思っています。すべてについて思っていますし、色んな締切りが追って来る度に“やらないなんてない”なって思っています。
小説の台詞は自身の中でも根強く生きていることを語った。

― 小説で章ごとに、飲み物の名前が付いていますが、それに込めた思いや特別な意味があったりしますか?
加藤:章立てのタイトルは元々違っていてもっとふざけた言葉遊びみたいのだったんですが、ちょっと分かりにくいと編集さんと相談して決めました。章立てには全て飲み物と年齢が書いてあって、その人にも年代によって飲む物がかわってくるって言うのが面白くて、小説の中に出てくる飲み物をタイトルにしているんです。二十歳越えるとお酒飲む人が増えてくると思うんですけど、20歳を越えて呑むお酒と、50歳の人のお酒はもちろん違っていて、二十歳の頃って背伸びして色んなお酒を頼もうとするし、でも、やっぱり強いお酒は頼めないって言うのだったりとか、大人になって再会してウイスキーとか飲んだりするようになるとか、そういう意味でその時代と人間性を反映するのが面白いなと思ってそうさせてもらいました。

― 来年から就職活動が始まるのですが、自分を見せるということが大切かなと思っていて、加藤さんは芸能界でアイドルとして作家として自分を見せる方法やアピールする方法があったら教えてください。
加藤:僕は就職活動はやっていないので、答えられないのですが、尚且つこういう職業をしながら、自分をアピールするのが得意だと全く思ってなくて、やっぱり人前に出るのは怖いですし、初めて話す人には良く思われたい故に、ちょっとかっこつけたりして緊張したりして、自分らしくなくなってしまうということだと思うんですけど、どこかで、そういう自分がいることで、自分らしくなくなってしまうのが嫌だなと思ったので、ひとつは実績を作って自信をつけていく事だと思います。例えば、僕で言うと小説を書くことが自信になっていったところでもあるし、ステージで言うと、この世に僕は一人しかいないと思うように思い込むときがあります。そうすると誰にどう思われようと、自分がやりたいように振舞うということが出来たりするってことかなと思います。
と、実体験を元に真摯にアドバイスを。

その後、行定監督も登場!
(その2) に続きます。

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