2020年の第33回東京国際映画祭で注目したアジア映画の中から【TIFFトークサロン】での話を聞いて、さらに面白さを感じた作品3本をご紹介する記事の、こちらは後編。2作品をご紹介します。(前編はこちら) (ネタバレも含みますので、映画の鑑賞前にはご注意ください)
『チャンケ:よそ者』(原題:醬狗)
監督/脚本 チャン・チーウェイ(張智瑋)
キャスト ホー・イェウェン キム・イェウン イ・ハンナ
https://youtu.be/ebVJjFCGi-w
物語は…
台湾のパスポートを持つ韓国在住の男子高校生が主人公。成績優秀だが、学校では中国人であることをからかわれ、つらい日々を過ごしていた。自身のアイデンティティに悩む彼には、父との確執もあった。そこには複雑な歴史的経緯と韓国の現実があったのだった。
ここからはネタバレになります。
台湾のパスポートを持つ主人公ですが、実は国共内戦で中国を追われた祖父が韓国に逃げ延びてきて以来、韓国に暮らしてきたという一家の歴史が明らかになります。父も主人公も韓国生まれで、彼の台湾のパスポートも、本当の台湾人とは違うもの。そして韓国での市民権をとることにも障害があり、台湾からも韓国からも外国人とみなされているという現実が明らかになります。
青年の苦悩から、長い歴史が明らかになる、深い背景を持った作品です。
現在は台湾と韓国を行き来することが多いという張智瑋監督が、台湾から【TIFFトークサロン】に登場してくれました。
本作は、張監督の自伝的要素が多い作品と言われているそうですが、なんと張監督は、父は台湾人、母は韓国人、そしてアパルトヘイト時代の南アフリカ育ちとのこと。主人公以上に複雑な社会を目の当たりにして育ってきたのだと明かしています。
さらに【TIFFトークサロン】での張監督の話を紹介しましょう。
「物語の中で起きるいくつかの出来事は実際に自身の経験に基づくものですが、人物の背景などは違うので、自伝的作品とはとらえていません。
常に自分をアウトサイダーだと感じてきたが故に、この映画の構想は、ずいぶん早い時期から頭の中にありました。
物語の舞台は韓国ですが、キャストは韓国語も中国語も操るために、メインのキャストは役柄と同じ背景を持つ俳優をオーディションで選びました」
題名のチャンケは韓国語(짱깨)で、韓国での中国人の蔑称です。語源はいろいろな説があるようですが、張監督によれば、ジャージャー麺の意味もあるとのこと。張監督は「実際は使わないで下さいね」と話していました。
オーディエンスからの「ジャージャー麺にのっていたうずらの卵に意味はありますか?」という質問から、中国・台湾・韓国の文化についてと張監督の話が広がる楽しいトークタイムとなっています。
知っているようで知らない中国と朝鮮半島深いつながりと、それに今も影響を受けている人々を知り、改めて日本と自分たちの歴史についても考えさせられる作品でした。
是非、日本でも公開してほしい作品のひとつです。
【TIFFトークサロン】
最後の作品は
『恋唄1980』(原題:恋曲1980)
監督/脚本 メイ・フォン (梅峰)
キャスト リー・シェン (李現)、ジェシー・リー(春夏) マイズ(麦子)
https://2020.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3301TKP19
作品公式サイト https://www.midnightblurfilms.com/love-song-1980
数々のドラマ・映画の脚本家として活躍してきた梅峰監督は、ロウ・イエ(娄烨)監督作品の脚本家として最もよく知られています。ヴィッキー・チャオ(趙薇)が監督をつとめ2013年の第26回東京国際映画祭でも上演された『So Young 過ぎ去りし青春に捧ぐ』(原題:致我们终将逝去的青春)では出演もしているそうですが、監督デビュー作の『ミスター・ノー・プロブレム』はTIFF2016芸術貢献賞を受賞し、本作が監督としての2作目。今回がワールドプレミアム上演となりました。
主人公が恋する女性を演じた春夏は、デビューまもなく香港金像奨新人賞を受賞した実力派の若手女優。2016年の第29回東京国際映画祭「シェッド・スキン・パパ」( 脫皮爸爸 )で来日し、フランシス・ン(俳優)、ルイス・クー(俳優)とともにトークショーにも登壇しています。(当時の記者会見の模様はこちら http://www.astage-ent.com/cinema/tuopibaba.html)
また【TIFFトークサロン】では、観客からタン・リーリー(谭力力)役を演じたマイズ(麦子)への称賛が多く寄せられていました。麦子はパリ第8大学を卒業したバレエダンサー出身の女優で、演作は多くないものの知的な雰囲気を持つ俳優として認知されており、今後の活躍が期待されています。
あらすじは…
1980年代初め、兄を失った青年が、その兄のガールフレンドだった女性への思いを抱いた10年近くの日々を描いた作品。
改革開放が始まったばかりの、激しい変化の波がやってき始めたばかりの時代を背景に、当時を彷彿とさせるまだくすんだ色合いの北京、そして四川省の峨眉山や内モンゴルが物語の舞台となっています。
梅監督の【TIFFトークサロン】でのトークは…
「時代の変化が大きく、ロケ地選びには苦労しました。大学校舎や宿舎、女性の家や庭は、70年代の建物がある大連や旅順でロケをしました」
「ラストシーンで二人が自転車に乗りながら歌った曲は、当時ヒットした李双江が歌った「北京颂歌」。時代のリアル感を作るために、この曲を使いました。
彼らの小さな歌声が、次第に大きなバックグランドミュージックにかき消される様は、その後の経済発展の中で、若者の声が飲み込まれる様を暗示したのかなと思いました」という感想に対しては、「そのように理解して頂いていいのですが、実は俳優たちの歌声が音程やリズムがずれるので、ポストプロダクションでの段階で、俳優たちの抒情的な声を活かしながら、バックミュージックをかぶせていくという必要がありました」という、なんともリアルな裏話が明かされました。
実は筆者は1981年に初めて中国を訪れ、ちょうどこの映画が描く時代に中国で留学生活を過ごしました。
映画にも登場する四川省の峨眉山をまさに同時期に、そして内モンゴルを主人公より少し早い時期に旅したことがあります。それゆえに描かれている大学生活や、楽山の大仏や風景に懐かしさを感じると同時に、記憶との違いをチェックしながら鑑賞していました。
冒頭の男性二人の水遊びのシーンでは「映像的には現実を美化した映画なのか」という印象を抱いたのですが、映画が進むにうちに大学の建物や宿舎の中などが80年代の大学のままといった雰囲気で、美化したという印象は間違いであることがわかり、梅監督のロケ地探しの苦労話に納得しました。
鑑賞の数日後、本映画祭会場でこの映画の感想として若い女性が「主役の二人の、どこが恋愛なのかがわからなかった」と話す声を耳にしました。それを聞いて「言われてみれば、そう思うのも当然かもしれない」と気が付きました。主人公の彼女への思いは、あまりにももどかしいものでしたから。
ただ、あの頃、あの場所に(似た所に)居た自分には、そうした違和感はなく「あの頃にはあるあるだったろうな」と思えました。それは中国で暮らして中国の友人の恋愛をいくつか見知っていたからでしょうか。
筆者は1989年5月を最後に中国から長く離れました。筆者が居た1980年代前半の中国は、北京・上海でさえ一般家庭には冷蔵庫も自家用車も無かったれど、知り合った人たち皆が「つらい時(文化大革命)は過ぎ去った。これからは良くなる一方だ」と明るい未来を確信していた時代でした。そして1989年6月を経て、中国は経済的大発展をしていきます。この映画にある、そんな時代背景も知ってもらえたらと思います。