凛とした美しさと確かな演技力で数多くの映画やドラマで活躍し、愛され続けている女優、中谷美紀。
彼女が2011年に初舞台にして圧倒的な存在感を示して数々の演劇賞を受賞。伝説ともなった舞台『猟銃』が、5年の時を経て再演される。
井上靖の小説を、世界的な演出家フランソワ・ジラールが演出。日本と西洋が合わさったともいえる美術や照明の美しさも大絶賛された、美しくも哀しく、そして妖しく切ない舞台だ。
だが登場する3人の女性を中谷がひとりで演じ、膨大な台詞もひとりで担うという非常に過酷な芝居でもある。
その『猟銃』に再び挑む中谷美紀に話を聞いた。
―今、5年前の初演を振り返って、如何でしょうか?
今まで演じるという仕事をして来ましたが、『猟銃』という作品に出会ったことで、それまで触れたことがなかった舞台という新しい世界の扉を開くことができ、それによって人生そのものが変わったようにも思えます。
―それまで舞台は中谷さんにとって別世界でしたか?
観客として観ることは好きでしたし、クオリティの高い作品は日本にも世界中にもたくさんあると思いますが、観れば観るほど自分がそのクオリティに達するものをつくれないのではないかという理想と現実の乖離を常に感じていたので、まさか自分が実際に舞台で演じるとは思ってはいませんでした。
―でも足を踏み出されて、第19回読売演劇大賞優秀作品賞、優秀女優賞(中谷美紀)、優秀スタッフ賞(フランソワ・セガン(美術)、デイヴィッド・フィン(照明))、 第46回紀伊國屋演劇賞個人賞(中谷美紀) 団体賞(株式会社パルコ)と受賞されました。
ビギナーズラックもだいぶ…下駄を履かせて頂いた分もあると思います。(笑)ただ演出家が素晴らしかったのです。演出のフランソワ・ジラールさんにとっては理解できていないはずの日本語であるにもかかわらず、私が発する言葉から、そこに真実が込められているのかどうかを察して下さって、真実の感情を掘り起こすようにして下さった。助けて頂きました。
―演技について、たくさん話し合いをされたのでしょうか?
雑談に費やす時間がとても多くて、私は不安になったぐらいです。1日5時間しかないお稽古の中で、5回くらいお茶を入れて下さいました。「いつ稽古するのだろう?」と不安になるくらい1時間ごとにお茶を入れて下さって「このキャラクターひとりひとりについてどう思うか?」と他のスタッフや、プロデューサーの毛利さんにも「どう思う?」と尋ねたりしていわゆるブレインストーミングをするのです。「そんな暇があったら稽古したい」と思ってしまうのですが、今思えば私にとってその時間が大切だったのですよね、きっと。
―そういうところからつくっていくのですね。
不思議ですよね。日本人はしゃかりきにたくさん働いていて「苦労を伴わないと良いものができない」とどこかで思っていますが、海外の方は土日はきっちりお休みにされる。『猟銃』では稽古期間が3週間しかなかったので、日曜だけお休みで「土曜は稽古して下さい」と無理やりお願いして稽古して頂いたのですが、1日たった5時間の稽古でクオリティの高いものができる…5時間のうち、ほとんど稽古してないですから。(笑) お茶を飲んだ時間が、たぶん2時間ぐらいあったと思うので、そう考えると3時間でも良いもの…と自分で言うのも手前味噌ですけれど、そういう仕事の仕方もあるのだと知りました。
―面白いですね。いわゆる稽古じゃないところが稽古だったという…
そうですねぇ。
―そんな舞台の魅力とは?
私はどちらかというと「本番よりもお稽古、過程の方が舞台の魅力だな」と思っています。きっと多くの方は「本番」とおっしゃるのかもしれないのですが、やはりこれだけ台詞を細かくかみ砕いて贅沢に時間を使って1つの作品を読み込んでいくという作業は、なかなか映像ではできない作業なので、私にとってそこが舞台の魅力だと思っています。
―役を作りこめる?
そうですね。やはり一人の人間が演じるので、己のことすら理解できていないのに、他人のことなど、早々簡単に理解できないものですよね。私自身がすべての役をちゃんと理解しているかといえば、演じていく中で新たな発見もきっとあるでしょうし、自分の人生に照らし合わせてどんどん解釈も変わっていくと思うのです。そんな中で、とうてい理解しえない人間というものを深く探る作業は面白いなぁ…果てしない探究だなぁと思います。
―初舞台はモントリオールで、それから日本での公演でしたね。違いは感じましたか?
モントリオールのお客さまには日本語が分からない分、日本語を間違えても大丈夫だろうという安心感のようなものはありました。そして2011年の震災後で、日本人に対する温かいまなざしというものは感じました。それこそ「お客様が一人も来ないのではないか」と思っていたのですが、お蔭さまで多くのお客様にご覧頂けて、スタンディングオベーションまで頂けたというのは、その温かいお気持ちで迎えて頂いたのかなと思います。
フランソワ・ジラールさんはモントリオールのご出身なのですが、世界中でオペラやシルク・ド・ソレイユの演出、映像のお仕事もされていらして、なかなかモントリオールに戻って作品を演出するお時間がないようなのです。それで地元の皆さんが、フランソワ・ジラールさんの作品を待ち望んでいらして「ようやく帰ってきてくれた」という思いもあったようで、取材を受けた際も注目度のとても高い作品だったように思いました。
しかし、やはり日本のお客様の方が緊張しました。お客様に生まれて初めての舞台をご覧頂くので本当に緊張しました。暗がりの中でマッチをつける最初の場面で、初日はあまりに緊張し過ぎてマッチに上手く火がつかなくて、何度もやっていたらやけどをしました。体勢もくずれて転びそうになって…。暗がりだったものですから。
―最初の台詞の前ですか?
台詞を発しながら…ですね。必死でした。(笑)
―言葉について、大切にされている点は?
自分自身も言葉の乱れに加担しているのかなと思う部分もありますし、日本語は乱れていくのだと思いますが、きっとどんな言語でも変化しながら存続してきたものだと思うので、言葉が変化していくのも仕方のないことだと思います。とはいえ、日本語は大切に守りたい美しいことばだと思っているので、そういう意味ではこの井上靖さんの『猟銃』は美しいので、一つ一つの言葉を丁寧に大切に発したいなと思っています。小津安二郎さんの映画を見ても言葉が美しいですよね。家族の中でも敬語を使ったり、そういう世界は心地よいので、裕福であるかどうかにかかわらず、親しい仲でも相手を敬うという気持ちで暮らすというのが、小津安二郎さんの映画を見ていると本当に美しいと思います。そういう意味では、この『猟銃』の世界も私が好きな世界なので、むしろ現代のお客様にこそご覧頂きたいと思います。
―日本語のつつましさなども…
だからこそ恐ろしいですよね。言葉は丁寧なのに、含んでいる意味は毒々しかったり。(笑)
―とてもご苦労の多い作品だと思いますが、いつ頃から再演に気持ちが動かれたのでしょうか?
これは常に矛盾した感情がありまして『猟銃』は私の人生を変えた作品でもあり、とても大切な作品です。限界を設けていたのは自分で、出来ないと思っていたことも一歩踏み出せば出来てしまうものだと、可能性は無限に広がっているということを教えてくれた作品なので「もう一度演じたい」と「もう二度と演じたくない」という気持ちが常に混在しています。
―でもついに再演と決まりましたね。
そうですね。プロデューサーの毛利さんが、ずっとセットも衣装もとっておいて下さって。つまりは倉庫に保管しているわけですから、保管料も発生しているわけですよね。これをどこかで回収しないと申し訳ない。(笑)
―再演では「前回よりもっと…」という気持ちも芽生えておられるのでは?
やはり言葉ですね。言葉をもっと…。変に到達点を決めずに、言葉をもっと流れに任せて委ねられるようになったらいいなという思いもあります。
―今回、プラスされたことや新しいことは?
お稽古が始まっていないので、台詞を覚えることがまず先決なのですけれども、原作よりわずかに短くなっただけの戯曲を読んでみましたところ、5年前よりも、あるいは最初にこの物語を読んだ10年前よりもより悲しく思えてきたというか、深く胸に迫ってきました。それは自分の年齢のせいもあるのかな…とも思います。
―膨大な台詞は、どのように自分に落とし込まれるのでしょうか?
もう必死です。余裕はありません。必死で覚えます。
―素晴らしいセットでしたよね。こんなセットは見たことがないと思いました。
はい、フランソワ・セガンさんがつくられた、とても素晴らしいセットでした。演出のフランソワ・ジラールさんの思いで、水と石と木を大切にされていたので、それを『シルク・ド・ソレイユ』の美術などを手掛けるフランソワ・セガンさんが具現化して下さって、本当にミニマルなのですが、ミニマルだからこそお客様に想像していただく余地を残しているので、よりお客様の感性も試される作品ではあると思います。
―そしてそのセットとキャラクターの変化には、つながりもあるのでしょうか?
お話を頂いてから5年くらい、お断りして逃げ続けていたのですが、本当にやろうかと具体化してから随分早い段階でフランソワ・ジラールさんがキャラクターの変遷についてはだいぶ考えていらして「着物を着させたいと思うけれども、どうしたらいいと思う?」とおっしゃっていました。
やはりセットの場面転換で私の気持ちも切り替わるようにと自然に仕向けてくださったので「さすがだな」と思います。
―では最後に、メッセージをお願い致します。
ちょっと無謀ともいえる賭けを初演に続き、今回もさせて頂きます。すべての女性に、この三人のキャラクターの誰かしらには共感して頂けるのではないかと思いますし、男性のお客様にも是非、女性の恐ろしさを味わって頂きたいです。(笑) 究極の選択だと思いますが「あなたは愛することを望みますか?愛されることを望みますか?」という問いの答えを、お客様にも劇場にてじっくり考えて頂きたいなと思います。
―中谷さんはどちらに○をつけますか?
愛される方に○をします。
―ありがとうございました。
中谷美紀(なかたに みき)
1976年、東京都出身。確かな演技力と透明感のある佇まいで多数のTVドラマ、映画で活躍。03年『壬生義士伝』で第27回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。06年『嫌われ松子の一生』で第30回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など多数受賞。また初舞台となった11年パルコ・プロデュース『猟銃』(USINEC・パルコ劇場他)で第46回紀伊國屋演劇賞個人賞、第19回読売演劇賞優秀女優賞を、さらに13年のパルコ・プロデュース『ロスト・イン・ヨンカーズ』(パルコ劇場他)のベラの演技により、第21回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。近年の主な出演作品に、映画『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(13/黒沢清監督)、『清須会議』(13/三谷幸喜監督)、『利休にたずねよ』(13/田中光敏監督)、『乾き。』(14/中島哲也監督)『縫い裁つ人』(15/三島有紀子監督)、ドラマ「花の鎖」(13/CX)、「軍師官兵衛」(14/NHK)、「宮本武蔵」(14/EX)など。2015年6月マックス・ウェブスター演出『メアリー・ステュアート』(パルコ劇場)では迫真の演技で観客を魅了した。4月より主演ドラマ「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」(TBS系金曜22時)が放送。
『猟銃』
原作 井上靖『猟銃』
翻案 セルジュ・ラモット
日本語台本監修 鴨下信一
演出 フランソワ・ジラール
出演 中谷美紀 ロドリーグ・プロトー
<東京公演>
2016年4月2日(土)~4月24日(日)
PARCO劇場
料金:8500円(全席指定・税込)
U-25チケット6,000円(チケットぴあにて前売り販売のみお取り扱い・観劇時25歳以下対象・当日指定席券引換・要身分証明書)
前売り開始:2016年1月23日(土)
お問い合わせ:パルコ劇場 http://www.parco-play.com
<新潟公演>
2016年5月4日(水・祝)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
<京都公演>
2016年5月7日 (土) ~2016年5月9日 (月)
ロームシアター京都 サウスホール
<愛知公演>
2016年5月14日 (土) ~2016年5月15日 (日)
穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
<兵庫公演>
2016年5月21日 (土) ~2016年5月22日 (日)
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
<北九州公演>
2016年5月27日 (金) ~2016年5月29日 (日)
北九州芸術劇場 中劇場