2015年にも日本全国で計57公演を行い、大きな反響を呼んだ上海歌舞団の舞劇『朱鷺』-toki- が、日中国交正常化45周年の今年8月29日から東京・ 名古屋・ 大阪で上演される。
この舞劇は朱鷺(トキ)と人間の青年との儚い愛の物語を舞踊で描いた作品。
トキといえば、日本では80年代に絶滅が危惧されたが、90年代に中国から贈られたつがいを繁殖させることに成功。いまでは個体数も増え、昨年6月には「42年ぶりに野生下で誕生したトキのカップルから生まれたヒナが巣立ちをした」という嬉しいニュースが伝えられるまでになった。
そんな日中友好の証ともいえるトキをテーマに、上海歌舞団が生み出したのが、舞劇『朱鷺』-toki-だ。
今回の日本での上演は2014年のプレビュー公演、2015年の全国ツアーに続く3度目。好評を得ての再再演となる。
8月の公演をひかえて制作発表記者会見のために来日した主演の朱潔静と王佳俊を訪ね、中国でも最高の舞踊家と称されるふたりのこれまでについて、そして作品への思いを聞いた。
王佳俊 (ワン・ジヤジュン) 朱潔静 (ジュ・ジエジン)
―まずおふたりについて、踊りの道に入るきっかけから教えて下さい。
朱:子供の頃はスカートが大好きで、スカートをはけばクルクルと回っていました。女の子はきれいなものが好きなものでしょう。そういう単純なものだったと思います。そしてダンサーは絶対スカートをはくもので、すごくキレイだと憧れて、踊りをやりたいと思ったんです。
―その頃に描いていた踊りのイメージは、バレエですか?
朱:バレエもあります。でも家で見ていたのは「春節聯歓晩会」(中国で大晦日恒例の歌をメインにしたバラエティ番組)のような番組での踊りです。ダンサーは全員がドレスを着て、きれいにメイクをしていました。スカートをはいて踊る美しいダンサーに憧れたのですが、実際のダンスはそう簡単ではなかったです(笑)。
―実際にダンスを初めたのは?
朱:6才で家の近くにあったダンス教室に入りました。9才の時に上海のダンス専門校の先生が私の故郷・浙江省嘉興まで新入生募集にきて、私も皆と一緒にテストを受けました。そして9歳で上海の舞踊学校(上海市舞蹈学校)に入った時から、私のダンサーとしての人生が始まりました。舞踊学校を卒業後に舞踊団に入って仕事をはじめ、もうダンサーとして20年あまりになります。ダンサーとして活躍できる年数はとても短いので、私はもうこの世界ではベテランの部類です。中国だと普通の女性のダンサーは35歳には第二の道を選ばなくてはなりません。結婚する、先生になる、別の仕事をする…。残酷なことですが、大部分のダンサーは踊りとは無関係な仕事につきます。
王:男性はもう少し長く活躍できるかな。
朱:女性でも長く現役で活躍する方もいらっしゃいますけれど、大部分のダンサーにとって、踊りは青春時代のものです。長く活躍される方は多くないですし、その方たちは大変な苦労をされていると思います。踊りのためにはプライベートな時間や食べ物が制約されるだけでなく、踊りか、それとも女性としての現実的な問題・・・結婚や子供・・・の選択を迫られます。仕事も家庭も両方手に入れたい、そして好きな踊りもやるのは、女性としてはとても難しいけれど、叶えばとても幸せなことです。私はその目標に向かって努力したいと思っています。
―王さんはいつ踊りを始めたのですか?
王:私は10才で舞踊学校に入りました。でも、それ以前には踊ったことがなく、踊りって何かも知りませんでした。
―何のきっかけで舞踊学校に?
王:舞踊学校が生徒を募集しているのを母が知って、僕を入学テストに連れて行ったんです。でも他の子供たちは踊りを習っている子供ばかり。僕は先生のマネをしてもラジオ体操みたいな感じだったんで(笑)、受かるなんて思いもしませんでした。遊びに来たんだと思っていましたけれど、なぜか合格して入学。そしてずっと舞踊を勉強して、今に到ります。
朱:まぐれ当たりだったのね(笑)。
―では自分で踊りが好きだと思ったのはいつですか?
王:それはずっと後です。踊りを始めたばかりの男の子には、ブリッジや開脚は酷いものです。すごく痛いんですよ。踊ることが好きだと感じるようになったのは、本物の舞台の上で、踊るようになってからです。ライトに照らされて踊る、踊り終わって観客から拍手をもらう時の幸せな気持ち・・・「自由」を感じました。味気ない稽古場とは全然違います。そしてだんだんと踊ることが好きになってきました。
―日本では子供の舞踊専門の学校はないので、普通の学校に通いながら習うんですよ。
朱:それは大きくなってから、とても努力が必要ですね。
王:僕等は学校での寄宿舎生活ですから、朝8時から夜も8時頃までずっと学校です。
朱:でも、私たちの同級生も本当に多くの人が辞めていきました。子供自身が辛くて我慢できずに辞めることもありましたが、保護者が宝物のようにかわいい子供が辛い思いをするのを見かねて辞めさせることもありました。
学校にいた6年間、私は一度もスカートをはいて踊ったことはなく、ほとんどの時間は基礎レッスンばかりしていました。家を建てる時と同じで、基礎がしっかりしていないと家がちゃんと建てられないのと同じです。基礎がしっかりしていれば、建てたいと思ったどんな家でも建てることができます。基礎のない家はわずかな雨風で倒れてしまいます。そして子供は自分をコントロールできませんから、厳しい規則が必要です。今になって、私は学校に感謝しています。今の自分がルールをわきまえることや、プロのダンサーとして何をすべきかが分かっているのは、学校のおかげだと思っています。だから学校は大切ですね。
―大変な努力を積んでこられたのですね。そしておふたりはスタイルも抜群です。運も持っていらっしゃるかと。
朱:これまで出会った先生、これまでの役柄など、すべてが今日までの成功の道を作ってくれたと思います。本当に感謝しています。確かに天は私たちふたりに、いわゆる美男美女のダンサー・・・男性はちょっと逞しくて、女性は細い・・・という典型的な舞踊家のイメージを通りの姿を与えてくれましたけれど、その実、私たちは天才じゃないんです。天才なんていないと私は思っています。その後ろにあるものは、見えないでしょうし、見せてはいけないものだと思いますけれど、きっと他の人よりももっと多くのものを差し出していると思います。『朱鷺』の役も「練習なんてしなくても、あの2人はできるんだ」なんて言う人もいますけれど、そんなことはありえません。私たちは他の人たちが稽古を終えても稽古しています。舞劇のトップペアとして、恥ずかしいことはできないと思っています。
たとえば、体調が良くない日があったとして、振付を少しぐらい変えても観客には分からないでしょうけれど、私たちは、ほんのわずかでもこの舞劇にマイナスになることはいけないと思っています。
主演として演じるのは、体力的に負担が大きい以上に精神的なプレッシャーが大変です。でもそれに耐えて舞台に立った時、その明るい場所で踊ると突きぬけた感覚があります。中国語で「詩和遠方」と言うんですが、体は劇場にあるけれども、私たちの感情、魂は自由に空を飛んでいきます。心がとても遠くまで届いた感じ・・・それが私たちの言う「自由」です。とても爽快で気持ちいいんです。その感動に魅入られて今日まで踊ってきたのです。
王:(黙ってうなずく)
―さて、舞劇『朱鷺』はどのように作られたのですか?
王:2010年に我々の上海歌舞団の団長が上海国際博覧会の日本館で朱鷺についての記録映像を見たことが始まりです。「なんて美しい鳥だ。これは踊りの良い題材だ」と思った団長は、脚本家や編集者、音楽家など制作スタッフを揃えて4年間の時間をかけて製作しました。
朱:ストーリーは本物の朱鷺の命の起伏を中心に、まったく新しい物語を創りました。佳俊さんが人間、私が朱鷺の精を演じて、伝説や現実を混ぜながら数千年の時を超えた朱鷺と人間の物語を描いています。美しく描いていますが、その中に込められた現実的な意味は、とても残酷でもあり、教育的な価値もある作品です。
『朱鷺』いう作品は舞劇とされていますけれども、単なる踊りを見せる舞台ではなく、広い意味をもつ芸術作品だと思っています。国と国、中国と日本、人と人、人類と鳥、世界の環境問題・・・などなど、含んでいる意味はとても広いのです。
公演が始まったのは3年前で、公演を重ねて、その内容はどんどん豊かになってきています。今後は名作として多くの古典作品が愛されるように愛され上演され続ける作品になり、私の後にも朱鷺役が次々に生まれ、その時代を反映しながら受け継がれる作品だと思います。ちょうど中国で『白毛女』が受け継がれていくように…。そのためにも、私たちは今、がんばっています。
―2015年に上演されたものと、今回の上演作では変わっている部分はありますか?
王:これまでに大きな改定は2~3回ですが、小さい修正は数限りなくやっています。
朱:変えて良くないと思ったら、また戻してと、自分たちが満足できるまで、何度でも作り直しをしています。私たちふたりは、この作品も役も十分に理解していますから「こうしよう」とふたりで相談してベストなものをさぐったりもします。それに毎日コンディションが違いますし、100回演じてからの感覚は初めての時とは違います。お客様の意見も聞いて、毎回検討するので、まったく同じ公演というのはないだろうと思います。
王:加えて今回、舞劇『朱鷺』は中国の一番大きな芸術基金の対象プロジェクト(国家芸術基金滚動資助項目)になったので、来日前に大きな改定を行います。
朱:照明設備もフルセット新しいものを用意しましたし、衣装も全部新しくなり、2年前とはまったく違うと思います。この日本公演をとても重視していますから、最高の設備で最高のキャストが最高の状態で演じる最高の『朱鷺』を日本の観客にお届けします。
―それは日本の観客はとても幸せですね。
朱:今の私は自分でも最高の状態だと思います。30才になって考え方もテクニックも成熟し、すべてが最高になった時に、この『朱鷺』という作品に出会えたことはとても幸せなことです。そして多くのみなさんの努力のおかげで3度目の日本公演が実現します。日本の観客のみなさんが歓迎して下さるからこそ、日本での上演が叶うのだと思っています。
たくさんの方に観て頂きたいですが、なかなか劇場に足を踏み入れたことがない若い人たち・・・たとえば中国にもとても多いのですけれど、アイドルが好きな若い方にも観て頂きたいです。芸術作品に触れることで、思いがけない幸せな時間を過ごすことができると思いますよ。
―前回の来日公演で忘れがたいことはありましたか?
朱:私が忘れられないのは、佐渡島に行った時のことです。「あれ、見て」と言う声で空を見上げると、トキが飛んでいました。自然の中にいるトキを見たのはあの時が初めて。振付けした時には、動物園の檻の中のトキしか見ていなかったので、すごく感動し、トキが私たちを歓迎してくれているような気がして、とても嬉しかったです。
それからトキ保護センターで日本最後のトキとなったキンのはく製と対面して、とても胸が痛みました。そしてキンと見つめ合ったその時、すべての音が消え時間が止まり、そこには私とキンだけになりました。キンと私、2つの魂が出会い、通じ合ったんだと感じました。
その後、帰国して『朱鷺』を演じた時に、私は自分がキンになり、佳俊さんはキンが懐いていた宇治金太郎さんという老人になって、キンになった私を見下ろしていると感じました。それは長い時を超えたこの物語にも似た感覚で、素晴らしい体験でした。キンに大変感謝しています。そしてキンも今ではこんなにたくさんトキが増えたことを喜んでいると思います。
―王さんの日本での思い出は?
王:忘れられない日本の女性スタッフがいます。毎公演終了後、あの広い舞台の床を一人で黙々と丁寧に、いつまでもしゃがみこんできれいにしていました。結局全57公演、彼女は一人でその作業をやり続けたんですよ。
朱:楽屋のモニターが舞台を映しているので、私たちには舞台の様子が全部見えるんです。
王:そこまでやらなくても…と思いましたが、彼女は手を抜くことなく完璧でした。僕たちは日本のスタッフと一緒に公演を行いましたが、彼女だけじゃなく、日本のスタッフの仕事をする姿勢は、本当に素晴らしかったです。
朱:中国の芸術も素晴らしいけれど、日本人のこうした態度を見ると、中国もまだ努力しなきゃと思います。こうして交流して、お互いに知って高め合っていけたら、それも『朱鷺』という作品のおかげですね。
早口で話す明朗活発な印象の朱さんと、その横で優しく微笑みながら相槌を打つ王さん。対照的なふたりだったが、その表情の奥には、子供の頃から日夜積み重ねてきた努力に裏打ちされた確固たる自信が感じられた。しかも朱さん31歳、王さん32才。ダンサーとして最高だと言う今、上演される作品『朱鷺』。8月の公演が、いっそう待ち遠しくなった。
翌日の行われた制作発表会見の模様 と合わせてご覧頂くと、おふたりのペアの秘訣、そして舞劇『朱鷺』の世界がより一層深く感じて頂けると思います。
是非合わせてご覧下さい。
舞劇「朱鷺」-toki- 日本公演
[出演]上海歌舞団 [メインダンサー] 朱潔静 (ジュ・ジエジン) 王佳俊 (ワン・ジヤジュン)
<東京公演>8月29日(火)~ 8月30日(水) Bunkamuraオーチャードホール
9月6日(水)~ 9月10日(日) 東京国際フォーラム ホールC
お問い合わせ:キョードー東京 0570-550-799(オペレーター 平日11~18時 土日祝10~18時)
<名古屋公演>9月2日(土) – 9月3日(日) 愛知県芸術劇場 大ホール
お問い合わせ:中京テレビ事業 052-588-4477
<大阪公演> 9月13日(水) – 9月14日(木) オリックス劇場
お問い合わせ:キョードーインフォメーション 0570-200-888
公式ホームページ http://toki2017.jp